十握剣の在り処

(補注五一)
【…ここのように「石上神宮」とあれば、奈良県天理市石上神宮と思うのが常であるが、神代記上の下文の一書第三に「今吉備の神部の許(ところ)に在り」とあるので、「備前国赤坂郡、石上布都之魂神社」のことと見るのがよい。…】
と言われているのです。
これは納得できません。

古語拾遺(2003/05/22)Munyuのつぶやき がお怒りのやうです。

  1. ここに速須佐男命、その御佩の十拳剣を抜きて、その蛇を切りはふりたまひしかば、肥河血に変りて流れき。(記、上巻須佐男命段八俣の大蛇)
  2. 時に素戔嗚尊、乃ち所帯かせる十握剣を抜きて、寸に其の蛇を斬る。(紀、神代紀第八段宝剣出現章本文)
  3. 其の蛇を断りし剣をば、号けて蛇の麁正と曰ふ。此は今石上に在す。(紀、神代紀第八段宝剣出現章一書第二)
  4. 素戔嗚尊、乃ち韓鋤の剣を以て、頭を斬り腹を斬る。 (中略) 其の素戔嗚尊の、蛇を断りたまへる剣は、今吉備の神部の許に在り。出雲の簸の川上の山是なり。(紀、神代紀第八段宝剣出現章一書第三)
  5. 素戔嗚尊、乃ち天蝿斫剣を以て、彼の大蛇を斬りたまふ。(紀、神代紀第八段宝剣出現章一書第四)
  6. 天十握剣[其の名は天羽々斬といふ。今、石上神宮に在り。古語に、大蛇を羽々と謂ふ。言ふこころは蛇を斬るなり。]を以て、八岐大蛇を斬りたまふ。(『古語拾遺』素神の霊剣献上段)
  7. 頭おのおの一の槽に入てのみゑひてねぶりけるを、尊はかせる十握の剣を抜きて、つたつたにきりつ。(『神皇正統記』大日女尊段)

夫々、記が712年、紀が720年、『古語拾遺』が807年、『神皇正統記』が1339年の完成になります。年代毎に並べて関聯の記事だけを上記に並べてみました。
紀一書第四と『古語拾遺』に依り、アメノハハキリが十握剣と同一の神剣だと判ります。更に、記と、紀本文と、紀一書第四と、『神皇正統記』には十握剣の在り処が記されてゐませんから除外します。
紀一書第二には「石上」に在りとし、紀一書第三には「吉備の神部」の許に在りとし、更に『古語拾遺』では「石上神宮」に在りとしてゐます。手元の岩波文庫版『日本書紀』には、p.96の註8や、p98の註4に、「備前国の石上布都之魂神社」が見え此れかとしてゐます。『古語拾遺』の補注51に在る内容は、紀一書第三の記述に準じた見解と見る事が出来るでせう。
若し、『古語拾遺』の成立した年代に、十握剣が大和国に在る石上神宮に在つたとするのであれば、備前国から大和国に移つた時期(可能ならば720~807の間で)を特定できる文献が必要であらうと思はれます。矢張り、『新撰姓氏録』の記述なのでせうか。
崇神紀にも何か示唆するものが在りさうです。