きのふの雷雨とは一転、今朝は少し涼し目だつたかも知れません。でもと言ふか、矢張りと言ふか、昼間は暑かつたですね。暑さでヒーヒーしてゐます。
古書を少し増やしたんですが、詳細は明日書きませう。
先日の件、取敢へず「娘と嬢」の部分だけ遣つ附けて、其の侭横になつてしまひました。こんな感じのお答へで良かつたのかしらん。外にもお題が在つたと思ひますが、必要でしたら調べてみます。
漢字の字音が同じであれば大体同じ意味になる事はあるやうです。「蜷」はになと云ふ巻貝の事ですが、「巻」と云ふ漢字と同じ字音です。「捲」も字音は「巻」と同じです。で、此処で見て欲しいのは旁のはうです。皆「巻」で統一されてゐます。「娘と嬢」の場合、同じ字音でも違ふ旁な訳ですから元々は違ふ字音だつた可能性はあるのかも知れません。
表音文字の件は同意です。文字は音に対応する表記ですから、外国語の文字を母語に持込む時は其の音を母語の音に合はせて表現するのが一番解り易い方法になります。この方法は蒙古文字を輸入した満洲人も同じ事をしてゐます。其れ以前は蒙古語に翻訳して記録を録つてゐました。
日本語の場合は、記録が残されてゐる部分で云へば、万葉仮名で既に字義を活用した表記を実現してゐます。其の前段階で音写してゐた事も或は在つたのかも知れませんが、焚書されてしまつたのか何なのか、今では確認できません。今考へるに、最初から字義を踏まへた文字の活用が実現できたのかどうか私には一寸疑はしく思ふのですが、証拠がありません。
そんな事を考へてゐた一日。