けふは、漢字の事が頭から離れない一日でした。矢張り漢字は奥が深いですね。歴史と云ひ、日本語と漢語と支那語の違ひと云ひ、調べれば調べる程、奥の深さを感じます。
「花と華」は結論から云へば、元々「華」の字が本字で、其の俗字として「花」の字がありますので、小説新潮の記事は正解になります。
id:tirukuru:20030905さんが電影の番組の宣伝をしてゐたので、観てしまひました。怖い怖い、阿部寛怖い。でもタバコ吸ひ捲つてゐましたねえ、ハイライトを。

続・娘と嬢

id:hakuriku:20030905さんが詳しく纏めて下さいました。ありがたうございます。態々、漢字の半切も書かれてあります。
件の小説新潮の記事に対する私の意見は述べてゐなかつたと思ひますので、此処で私の意見を述べておきます。
小説新潮の記事では、現代の支那語(簡体字)で、「娘」と云ふ漢字と「嬢」と云ふ漢字が全く同じ意味とされてゐる事を以て、「同じ字」と認定してゐるのですが、其れは早計な判断だと思ひます。もつと調べられる部分はあると云ふ意味で別の面から考へ直してみました。
漢字が日本に輸入された時は既に「娘」も「嬢」も同じ字音、同じ字義になつてゐたやうですが、日本では違ふ文字であると云ふ意識はあつたのだと思ひます。其の后、「娘」に敬意を込めた表現として「嬢」と云ふ漢字が日本で使はれるに至つたのでせう。
「娘」と「嬢(孃)」が同じ漢字かどうかと云ふ事は、夫々の漢字の出自や成立ちから考へても違ふ漢字であると私は結論します。偶々現代の支那語では同じ漢字として認識されてゐるだけの話です。
次は「花と華」ですが、如何致しませう。一応記事は考へておきますが。

志賀島の金印塚

やがて特急「ソニック」は香椎駅に着きました。香椎は香椎宮の在る香椎です。此処から志賀島方面に行くJR香椎線気動車が走つてゐます。香椎駅から西戸崎(さいとざき)駅迄、「海の中道線」と呼んでゐるさうです。西戸崎駅行きの列車が来る迄、20分弱は待つたでせうか。途中、海ノ中道駅止りの列車が来たのですが、途中迄しか行かないので、其の侭見過して、次の列車を待つ事にしました。今考へれば、別の駅、例へば奈多駅で途中下車して1局訪問できたのでせうが、其の時点で考へ至りませんでした。勿体無い。香椎駅で地元のをばさんと思しき女性と、暫し歓談、「海ノ中道のはうにはプールや水族館が在るんだけど、水族館の入場料、高いんですよお」さうなんですか。然し暑いなあ。
扨、気動車がやつて来て、其れに乗込みました。ゴンゴンゴン、ガー、西戸崎駅に向けて気動車らしい音を立てて海伝ひを進みます。西戸崎駅に到着して、駅を出ると矢張り凄い暑さです。郵便局に向つて港町を歩きます。西戸崎郵便局に到着し、やつと福岡市内の郵便局のけふの一局目で貯金を果しました。この局で、午前中の担保定額の解除を依頼して確りとした対応で対処して呉れました。ありがたうございます。局を出てバス停に移動してバスを待ちます。日当りのいい場所で10分以上も待つたでせうか。やつとバスはやつて来ました。暑い暑い。
バスは海岸線の広い道を直走り、やがて橋を越えると其処は志賀島です。一寸した橋で島へ行けるのは相模国江ノ島に似たやうな感がしますね。「金印塚」と云ふバス停で下車して、金印公園を暫し散策、整備されてゐる割には草ぼうぼうの有様、一寸残念でした。此処で「漢委奴國王」の金印が発見されたのですが、発見されなければ単なる一寸切立つた海岸線に道路が在るだけの場所です。金印公園から、対馬行きと思しき高速艇の走る様が見えました。其の奥には能古島、いい眺めではあります。道路に戻ると其処では露店でサザエの壷焼を売つてゐます。時間が急いてゐたので、徒歩で島の聚落に戻り、志賀島郵便局に到着しました。
局前のバス停で時間を確認、局では風景印が在るらしいので、其処から実逓を発送してゐたら、バスの到着時間になつてしまひました。志賀島には志賀海神社が在るのですが仕方がありません。又次回と云ふ事でバスに乗込んで元来た道を戻ります。橋の左脇の海岸線では浜遊びをする人達で賑つてゐます。夏の海の光景、いいなあ。
バスは程なくして西戸崎駅前に到着しました。

古書入手

又色々買つてしまひました。『ベーオウルフ』は古英語で書かれた叙事詩です。正字正かな文語文で訳されてゐて、まるで『平家物語』を思はせる文体に収まつてゐます。
クォ・ヴァディス』は、岩波文庫版は持つてゐたのですが、まさか角川文庫版が在るとは思はなかつたです。正字正かな現代文。
『日本史辞典』は、和暦の元号と西暦の対応を取る為に入手しました。例へば弘安4年は西暦1281年、ヌルハチ汗の後金*1建国の西暦1616年は和暦の元号で元和2年と云つた具合です。参考迄に、物部氏関聯の記事に何が在るか見てみませう。

この程度かな。もう一つ、日本武尊関聯の記事も見てみませう。

外にも在ると思ひますが、一応この程度は確認できました。

*1:支那清朝の前身

きのふの雷雨とは一転、今朝は少し涼し目だつたかも知れません。でもと言ふか、矢張りと言ふか、昼間は暑かつたですね。暑さでヒーヒーしてゐます。
古書を少し増やしたんですが、詳細は明日書きませう。
先日の件、取敢へず「娘と嬢」の部分だけ遣つ附けて、其の侭横になつてしまひました。こんな感じのお答へで良かつたのかしらん。外にもお題が在つたと思ひますが、必要でしたら調べてみます。
漢字の字音が同じであれば大体同じ意味になる事はあるやうです。「蜷」はになと云ふ巻貝の事ですが、「巻」と云ふ漢字と同じ字音です。「捲」も字音は「巻」と同じです。で、此処で見て欲しいのは旁のはうです。皆「巻」で統一されてゐます。「娘と嬢」の場合、同じ字音でも違ふ旁な訳ですから元々は違ふ字音だつた可能性はあるのかも知れません。
表音文字の件は同意です。文字は音に対応する表記ですから、外国語の文字を母語に持込む時は其の音を母語の音に合はせて表現するのが一番解り易い方法になります。この方法は蒙古文字を輸入した満洲人も同じ事をしてゐます。其れ以前は蒙古語に翻訳して記録を録つてゐました。
日本語の場合は、記録が残されてゐる部分で云へば、万葉仮名で既に字義を活用した表記を実現してゐます。其の前段階で音写してゐた事も或は在つたのかも知れませんが、焚書されてしまつたのか何なのか、今では確認できません。今考へるに、最初から字義を踏まへた文字の活用が実現できたのかどうか私には一寸疑はしく思ふのですが、証拠がありません。
そんな事を考へてゐた一日。

娘と嬢

漢字を考へる時は、必ず字体と字音と字義の三次元で考へて行かないとなりません。現在の日本の字音は同一になつてしまつてゐるかも知れませんが、本来の字音仮名遣の相違の有無はどうか、中古音はどうだつたのか、現在の支那語音はどうなのか、等など、字音だけでも調べられる範囲は広範なものとなります。漢字は組合せで使用するのが常です。字体の違ひが組合せの違ひに現れるのかどうかも重要でせう。和語の表せる範囲は広くなるのですが、漢字を使ふ事で和語よりも緻密な表現が可能になりました。其れは字訓には表現されない部分に字義が存在するからです。其の辺りの事情をよく踏まへた上で、先づは表題の件を考へたいと思ひます。
むすめには二つの意味が在ります。親子の関係の子に当る女性の意味と、未婚の女性の意味の二種類です。共に若い女性の事でせう。
字音仮名遣は漢音で共にヂャウとなります。元々の字義は「娘」が美しい女子の意で、「嬢(孃)」が目上の女性としての母の意で使はれてゐたさうですが、字音が同じ「ヂャウ」である為に、混同して同じ「むすめ」の意味で使はれるやうになつてしまつたやうです。「娘」の漢字熟語は娘子軍や村娘となるのに引替へ、「嬢」の場合、令嬢、愛嬢、老嬢、交換嬢、お嬢さん、〜嬢など、敬意を込めた表現になるのは、恐らく元々目上の女性の意味が在つたのが残つた為だと私は思ひます。
支那語(簡体字)では、共にniang(陽平)の北京語音ですが、「娘」の繁体字として「孃」が掲載されてゐます。恐らく支那語では両方共同じ漢字との認識なのでせう。字音が同じだつたのが災ひを招いた感じです。

同じ漢字を調べるに当つて

先日、id:jouno:20030902さんより、詳しからうと云ふ事で宿題を頂きました。お題は「娘と嬢」「花と華」「準と准」「著と着」の夫々の異同の明確化だと思ひます。取敢へず、手元に在る資料を提示して、其の記述を参考に考へて行きたいと思ひます。

其の外、必要に応じて『康煕字典』も紐解く事にしませう。
因みにハンドルの由来は、『クォ・ワディス』(ISBN:4003277015)の登場人物の名前なのです。西暦一世紀に実在したローマ人ださうです。『夏への扉』(ISBN:4150103453)は後から知りました。