大濠公園

宿に着いたら早速宴会が始るらしい事を仲間が言つてゐました。まあ、集合の時間に30分ぐらゐ遅れた私も悪いのですが、直ぐさま風呂の湯に浸かれなかつたのも一寸残念ではありました。宴会では、本日の旅行貯金の成果や去年からの1年間の状況報告などを肴に楽しく飲明かしたものです。皆精力的にやつてゐるのが羨ましいな。矢張り同じ趣味の皆さんが口を揃へて言ふのは、新型の郵便貯金通帳に対する不満でせう。通常貯金の局長印*1の欄が削られてしまつてゐます。私は明治から戦前を含めて今日迄の郵便貯金通帳の印字欄を見た事がありますが、局長印の欄が削られたのは今回が初めての事態です。極めて残念な事であります。宴会が終つてやつと湯に浸かる事が出来ました。
宿で一眠りして其の次の日、直ぐ傍に在る大濠公園に行つてみました。まだ朝だと云ふのに茹だるやうな暑さです。公園は福岡の街中に在つて長閑な氛囲気のするいい場所です。大きな池の真ん中に幾つかの橋で繋がれた小さな島なんかが在ります。南西のはうから幾つかの橋を渡り乍らゆつくりと見物してゐました。丁度中央の辺りに赤い見晴し臺のやうな建物が在つたでせうか。いい感じです。池には鯉も泳いでゐます。池の北側に出た辺りの橋の上にゐた時でせうか、別の旅行者達に写真を撮つて欲しいと頼まれました。話を聞くと、ブラジルからやつて来た人達らしい。地球の裏側から態々御苦労な事です。暫く歩いて保険事務センターに在るATMの部屋に到着、涼しいな。
地下鉄を利用して博多駅に移動しました。仲間に福岡県人がゐない筈なのに何故か皆「えふカード」を持つてゐます。をかしな事ですね。然しこのカード、一体何年振りに使つたんでせう。印字の形態も変更されてゐました。新幹線ホームの真下に昔から在るミスドで少し歓談して解散になりました。
さう云へば、九州入りの記事が出てゐませんでした。出来上つたら明日上げておきませう。

*1:正式には「主務者印」と云ふ。

結構涼しくなつて来たかも知れません。昼過ぎも此れ迄のやうな暑さを感じず過せたやうに感じます。
楽泉会に参加してゐました。何箇月ぶりかに師匠にお会ひ出来たと思ひます。けふの品評会は、一人の人から大量に持込まれた古銭が対象だつたやうです。皆が取囲んで見てゐたので、私が這入る隙が無かつた感じです。
盆回しでは、新王莽の「貨泉」数枚と、「周通元宝」銘の絵銭を入手、絵銭は背の竜鳳の絵が気に入りました。
会合の後の飲み会で、清朝銭を3枚入手しました。

  • 雍正通宝 宝川局
  • 乾隆通宝 宝武局
  • 豊通宝 宝州局 無背

雍正の宝川は、雍正の中では少いはうですが、この物は背の満文が大振りの字になつてゐます。乾隆の宝武は穿下の左寄りに鋳溜りのやうな星が在ります。咸豊の宝州は通常なら堅文や星が在るのですが、この物は無背です。印が無いはうが断然少い種類の古銭です。
涼しい夜を過してゐます。

けふは、新しいコンテンツの作成をしてゐました。多分外のウェブでは公表されてゐない内容のものですが、資料的価値は在ると思はれますので、皆さん出来上るのを期待しないで待つてゐて下さい。どんな内容かは公表の其の時まで秘密にしておきます。
色々な語句で此処へ検索に来られる方々がお出でです。

天羽々斬
神武天皇饒速日が天神の証拠の品として示し合つた神宝の一つです。
昭和33年 十円玉 百円玉
10円玉の内で発行枚数が最も少い年号です。発行当初から少い事が知られてゐたらしく、今では流通からは殆ど選り出す事が出来ません。銀行ロールなど崩し乍ら頑張つて探し出して下さい。この前年の昭和32年に初めて100円硬貨が発行されました。鳳凰の意匠の銀貨です。
稲荷+神社+移転手続
正直に言つて解りません。ですが、お稲荷さんの祟りが無きやうに適切に行はれる事を望みます。罰が当つてからでは遅いですからね。

高速を突つ走る路線バス

西戸崎駅の前にバスは着きました。駅には今発車せんとする気動車が待構へてゐます。慌てて駅に向つて走つて、自動券売機で切符を買はうとした其の時、ガ、ガ、ガ、ガー、気動車は到頭発車して行つちやひました。改札の向うから見守る私、14時過ぎの昼の暑さを倍以上に感じてゐる私、其れから30分待つ事になりました。
其の后、次の気動車がやつて来て、其れに乗込み、香椎の先の土井駅に向ひます。土井駅は新幹線の高架の下に在る小さな駅です。此処の近くに簡易郵便局が在るらしいので、地図を頼りに徒歩で其処に向ひます。住宅街の真ん中に農協併設の簡易郵便局が在りました。其処では二人の女性の窓口応対者と一緒に世間話をし乍ら、普通為替など振出して頂きました。忙しい処をありがたうございました。
簡易局(と云ふか農協)を出て、近くの大辻に在るバス停に到着しました。程無くして天神行きのバスが到着、其れに乗込みます。バスは川伝ひやら工業団地の在る区域を其処此処折れ乍ら進みます。暫くして大通りの脇で一寸休んでから、高速道路に合流してしまひました。「♪岬巡りのバスは走る、窓に拡がる青い海よ」と歌つてみるも、眼下に立並ぶ家やビル、氛囲気には一寸合はないけど、下道を巡つてゐた時より快適な路線バスの旅、一般道に降りて程なくして、天神に到着、終点で下車しました。
外は暑い。けど、次に行くのは天神の街から少し西南に行つた所に在る逓信病院です。此処には以前英文字附き独自局番号が附与されたCDが設置された無出*1が在つたのですが、扨、現在はどうなつてゐるんでせう。時間は天神到着で既に17時を少し回つた処、やつてゐるのかどうか怪しいのですが、少し小走りに走つて、17時30分を少し過ぎにやつとの思ひで到着しました。以前設置されてゐた筈の場所に出張所が在りません。仕方がないので、病院の窓口の女性に伺つてみました。「其れならあちらのはうにありますよ、中から通つて左手のはうです」と言はれ行つてみたら、もうシャッターが閉つてゐました。見れば17時で終了との由、後30分早ければ使へたのに残念だなあ。ドーと疲れてバーと汗が出て来ました。以前の設置場所から少し移動してゐるので、或はATMに設置替へになつてゐるのかも知れませんが、確認できませんでした。無念。
扨、時間も時間なのでけふの宿へ移動する事にします。北側に在る国道に歩いて戻り、国道から大濠公園方面へ向ひます。途中Y字路が在り其処には護国神社が鎮座してゐます。更に真直ぐ行き、市立美術館の入口から、大濠公園の周回道路に這入りました。周回道路は歩行者専用道路になつてゐて、色々な人が思ひ思ひに歩いてゐます。然し暑いなあ。
大濠公園の西側に周つて住宅地を一寸歩いてけふの宿に到着、時間は丁度18時、暑い、疲れた。

*1:無人出張所。CDやATMだけが設置された郵便貯金の出張所

物と言葉

物は人間がこの世に誕生する以前から存在してゐます。其れは事実です。
又他方、人間は物や事に対して一つ一つ命名して其れを組合せて言葉として表現します。命名されてゐる物事は其の言葉を使つてゐる人達にとつて認知されてゐる内容なのです。ですので、其の物事が或る特定の物事として「生きる」事が出来るのです。
或る時点から、物事を表現する必要が無くなれば、其れは言葉として表現する必要性が無くなり、やがて其の物事を表現する言葉は「死に」ます。言葉が「死んだ」後の人達にとつては、其の言葉を使ふ必要性が無くなると同時に、其の言葉で表現されてゐた物事其のものが彼等には認知されなくなると云ふ事です。
物は人間がこの世に誕生する以前から存在してゐます。其れは事実です。然し乍ら、言葉に表現され得ない物事は認知され得ません。目の前に物事が存在したと言つてもです。更に、言葉を使ふ事其れ自体が区別の作業である事を認識しなければなりません。

流行つてゐるやうなので、私もやつてみます。

悲しい事に「保」の字から「て」の字迄の間、文字化けしちやつてゐます。然し、「チョニック」ッてああた、キーワードも書替つてゐるし、笑つちまつたぞ。